山奥に人家がある理由

不便だろう…と思うのは現代の見方

奥多摩奥秩父奥利根などダムを目指して最近山の奥の方に行くことが多いです。そこで気づくのはかなり山の奥の方にも集落があるということです。勿論高齢化と過疎化が進んで廃墟交じりになっている場所も多いですがそれでも新しい住宅もあったりします。

単純に考えて、市域から遠く買い物も気軽には行けず、公共交通機関などほぼ存在しないような場所に住むのは不便な事だろうと思います。住めば都という言葉もありますが、そもそもなぜ山の奥に集落が…と考えてみると集落が成立した頃の事情に沿っていることに気づきました。

江戸時代以前のことを考えてみましょう。生活には水が必要です。当時の水源は川や都市部では井戸が一般的でしょう。井戸は掘って汲み上げるコストがかかります。川の中流域より下流は氾濫する可能性があります。それを考えた時、山の奥の程よい規模の流れは水源として最高です。

また燃料は薪、あるいは木炭です。燃料にする薪が豊富なのは必然的に山であり、平野部はその点でも不利です。平野部では薪や木炭をあちこちから買い集めて燃料としていました。現在では電気、都市ガスやプロパンガスを購入して使用していますが当時は木炭を購入していたのです。それらが手近に入手できる山間部は当時としては棲むために適した場所だったと考えられます。

現在の視点でみると不便、一方で当時としてとても理に適っていたからこそ集落が出来て人が増えていったのでしょう。動画は奥多摩某所。このような雨がしばらく降らなくても涸れることが無いせせらぎは人々の重要な水源になりました。なお、ここは現在でも水源として現役です。