教育は個性を伸ばせない

教育とは決まりきったことを教えること

教育が決まりきったことしか教えないのは当たり前で、決まっていないことは教える術がないのです。逆に言えば決まっているから「教科書」が成立し、正解を導きその結果を答案としてまとめる「テスト」が成立します。

一方で「個性」はどうでしょう。もちろん決まりきったことではないからこそ教えることができません。また周りが手を貸して個性を伸ばすこともできません。こればかりは本人の天賦、運、努力、呻吟、苦悩、選択…によって伸ばしていくしかありません。周りができることは「個性を潰さない」ことです。

「個性を伸ばす」の美名のもとに、ある程度の強制を伴いしばしば平凡でつまらず単調な、しかし非常に重要な決まりきった教育をおざなりにするのは間違っていると思います。そもそも「個性を伸ばす」ことができると大人や教育者が思っているならそれは驕りでしょう。

今日の写真は大根。ムサシアブミを撮影した日の午前中に購入したものです。この写真をみたかぎけんの柳下瑞穂社長は「オオアリクイ(アクセスして比べてみて下さい)に似ている」とコメントしました…。確かに真ん中を顔(長い吻)に見立てると似てる!この感性というか才能というか感覚的個性は教育でどうにかなるものではないと強く思った次第。科学技術部長は大根が大根にしか見えない凡人ですが、仕方がないのでできることを頑張ります。

オオアリクイ似の大根(2023年5月)
オオアリクイ似の大根(2023年5月)

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です