正解と失敗とセレンディピティ

単なる正解はあまり重要ではないかなと最近思います。勿論、科学技術部長、変な間違ったこと言って怒られるのは別として。特に正解が一つしかないような問題はその正解そのものには個性がありません。

一方で失敗は常に千差万別。なぜそんな失敗をしたかわからないような失敗もあれば、正解が見えたと思って一歩踏み出した瞬間に落ちる、落とし穴みたいな失敗もあります。そして正解は一度得られると終わりですが、失敗は死ぬまでできます。多分、人は失敗の数だけ人間性が分厚くなるのだと思います。正解が必要ないと言っているのではないのでそこは誤解なく。ただ正解だけで人間性の厚みは維持できないと思います。

セレンディピティというのがあります。目指した正解や目標とは異なる別の成果。これも失敗の一種だと思います。ナビを使わない旅はこれの宝庫です。目的地に最短距離で行くだけが楽しみではないですからね。寄り道、迷い道は旅の妙味を厚くしてくれると思ってます。

突然何を言い出すかって。そりゃ、いま正解にたどり着くのに苦労しているからです。勿論、無駄にはなっていませんがそろそろたどり着かないと月曜日から困る。

という訳で、忙しいので昨年の写真から。数々の失敗を経て撮影されたメジロと梅の写真。フィルムカメラでは絶対やらない位シャッター切ってます。もうすぐ春ですね。

ウメとメジロ
ウメとメジロ